経営

「たねや」主人がつくった滋賀随一の観光地『ラコリーナ近江八幡』

『近江商人の哲学 「たねや」に学ぶ商いの基本』山本昌仁著 講談社現代新書

近江商人の哲学 「たねや」に学ぶ商いの基本 (講談社現代新書)

今回のレビューはお菓子屋「たねや」の主人が著した「近江商人の哲学」(上の画像をクリックするとアマゾンにとびます)です。

滋賀県の近江八幡市に「ラコリーナ近江八幡」という栗饅頭やバームクーヘンで有名な「たねや」というお菓子屋さんがつくった観光施設があります。

観光施設といっても敷地内にそのお菓子屋の本社がある甲子園三つ分もの広さのあるテーマパークみたいな場所です。

もともとは厚生年金休暇センター「ウェルサンピア」という施設があったのですが、国が売却してたねやが買い取り、人工物はすべて撤去した後、建築家の藤森照信さんにデザインと設計を依頼してできたのがラコリーナ(イタリア語で丘という意味)です。

年間の観光客数が280万人を突破しているというのですから驚きです。この数字は阪神の甲子園での年間観客動員数に匹敵するといえばそのすごさがわかるでしょうか。

ラコリーナがここまで人気の理由なのは、どこかジブリアニメにでてくるような趣あるメルヘンな雰囲気と、どこで写真をとってもインスタ映えする建物の振り切り方にあると思います。

藤森先生はオリジナルなものでなければ作る意味がないといいます。似たようなものが先にあるなら途中で作るのをやめるべきだとも言います。

これが「○○風」ではなく本物を志向するたねやの理念と通底したので、藤森先生に依頼したそうです。

確かにこの建物はどこにも似ていません。そして不思議なことにメルヘンチックな建物にありがちなハリボテ感がまったくないのです。

これにはもちろん建築資材に本物を使っているとか、敷地内の世界観の統一性が保たれているということもあると思いますが、個人的に思うのは建物背後にある八幡山の存在です。

ラコリーナの建物写真を撮ると背後には八幡山しか映りません。本当はラコリーナの背後にはこれまた瀟洒で美しい柿色の屋根が印象的なヴォーリズ記念病院があるのですが、これも映りません。

要するに八幡山が借景となって、うまくラコリーナが近江八幡の風景に溶け込んでいるのです。

東京ディズニーランドが、シンデレラ城の写真を撮ったときに背後にビルや人工物が映らないように広大な敷地を買い取り海沿いにテーマパークをつくったことは有名な話ですが、それと同じようにラコリーナには余計な人工物が入ってこないのです。

このため観光客はラコリーナの世界観にはいりこんだまま敷地内を周遊できるわけです。

厳島神社も宮島から本土に向けて写真を撮ったときに何も映らないようにマンションやビルの建築を規制しているのと同じことですね。

たねやはこの八幡山の里山を維持するために、ボランティアで整備をすすめています。

借景となる八幡山の整備も始めました。里山は人の手が入ってこそ美しいのですが、誰も使わなくなると荒れ放題になる。(略) 八幡山はうちの土地ではないのですが、周囲の環境も整えることが大切だと考え、ボランティアで竹を剪りました。

近江八幡という町はいってみるとわかりますが、八丁堀を中心とした旧市街の古い景観とアメリカ人建築家ヴォーリズが建てた建築物の2本柱がこれまで観光地としての評価を高めていました。

ただ近年では八丁堀を中心とした旧市街地から、JR近江八幡駅を中心とした新市街地のほうに人口が集まり、旧市街地は相対的に人の賑わいが少なくなっていたことも確かでした。

ラコリーナができる前の近江八幡市の観光客数が年間80万人に届くか届かないかといわれていました。

そこにいきなり甲子園球場並みの集客力を持つ施設ができたのですから、町に与えたインパクトの大きさは容易に想像できます。

ダイエットブログなのに一冊目のレビューがお菓子屋さんの本というのもおかしいかもしれませんが、ここで焦点をあてたいのはお菓子そのものではなく、この本のテーマである近江商人の哲学の部分です。

今回紹介する『近江商人の哲学「たねや」に学ぶ商いの基本』はたねやの社長の山本昌仁氏が書いた本です。

実はこの本もラコリーナで販売されていたので手に取ったのですが、ラコリーナという存在がなければ知りえなかったと思います。

この本を読むことで、たねやに今も息づく近江商人の考え方を知ることができました。

近江商人の哲学とは

近江商人というのは江戸時代に近江に根拠を残しながら、全国をまたにかけて行商を行った今でいう商社マンみたいな商人のことです。

近江に縁のある経済人といえば、たとえばワコールの創業者塚本幸一、ヤンマーの山岡孫吉、西武の堤康二郎、寝具でおなじみの西川産業の西川甚五郎がいますし、日本最初のデパートの白木屋や高島商人がつくった高島屋なども近江商人が育てた業態です。

近江商人のような行商人が生まれた理由は江戸時代にあります。

近江の国は陸奥の国についで石高多く、七十八万国もあったそうですが、大藩といえるのは彦根藩ぐらいしかなく、あとは幕府の天領、旗本領、寺社領、公家領と細かく領地が分かれていました。

このため飛び地が多く本領だけで自給自足ができないため、各領地を行き来する近江商人の存在が必要になったわけです。

近江商人といえば「売り手よし、買い手よし、世間よし」「三方よし」の言葉で有名ですが、自分の利益だけを追うのではなく、広くステークホルダーのことを考えて商いを行うという意味です。

山本社長によれば近江商人の特徴には以下のようなものがあります。

目先の利益を追うのではなく、まず相手が喜ぶことを考える(「先義後利」といいます)。細く長くであっても、組織が永続することを優先する。生まれ育った地域に還元する。

近江商人は生まれ育った地域に還元するといいますが、たとえば滋賀にはあまり有名な料亭が存在しないのもそれが理由の一つだといいます。

滋賀は京都に近いので料亭がもっとあってもいいと思うのですが、全国区の料亭というと招福楼ぐらいしかない。

これは近江商人が裕福になってもそのお金を飲食や接待に使わないで、地元に橋を立てたり、学校を建てたり、常用灯を設置したり、地元に還元したからだといいます。

滋賀には神社仏閣がとても多いのですが、これは近江商人の寄進が多かったからというのが関係しているといいます。

たねやの先代の社長も人の賑わいがなくさびれていた日牟禮八幡宮の境内に、損得を無視して子会社ハリエのフラグシップ店をだすことで、再び旧市街に脚光をあてさせたのです。

和菓子は人の手で作れば美味しいというわけではない

おもしろかったのは、和菓子というとイメージとしては職人さんの熟練の手わざが美味しさの決め手になるというような「手作り信仰」みたいなものがありますが、これは間違いだといいます。

とんでもない。実は、和菓子は人間の手が加われば加わるほどダメになっていきます。

というのも人間の手で整形できるようなお菓子の生地はある程度の硬さが必要になるので、機械でつくるような柔らかいものにはならないからです。

また人間の手にはいくら消毒しても菌がいるので人の手を介したお菓子の保存期間はせいぜい2~3日になるのに対して、機械なら無菌でつくれるので保存期間は2週間ぐらい伸びます。

たねやでは大量生産の必要性もあり、機械化が必要なところはどんどん機械でやらせることで、人間の手では絶対に出せないような味をだしているのです。

もちろん人間の手じゃないと難しいところは人間の手を使っています。

たとえばバームクーヘンなどは完全自動化でやるとがちがちの硬いものになってしまうので、微妙な調整は人間がみてやらなければいけないそうです。

とりの形をした和菓子に目を入れる作業も、人間がやるとひとつひとつがちがって味がでてくるといいます。

たねやは先進的に機械化はどんどん進める一方で、人間の手でしかできないところは人間の手でしっかりやるというメリハリがきいた製造をしています。

たねやが滋賀での製造にこだわる理由

たねやでは製造を滋賀県だけで行っています。

このため年に一回ほど全国の売り場でたねやの商品の供給が滞る季節があります。それが冬です。

関ケ原は冬になると高速道路が凍結するので交通規制が入り、滋賀からの物流が止まってしまうからです。

それでもたねやが製造工場(愛知川)を滋賀県から移さない理由は、和菓子の味が水で決まるからです。

和菓子というのはその7割近くが水分でできているので、水が変わると味が変わってしまうのです。

愛知川には鈴鹿山系からの極上の水が流れてくるので、たねやはそこでしか製造しないのです。

たねやが琵琶湖の水質改善に投資するのも、八丁堀周りの環境整備に力を入れているのも、八幡山の里山維持をボランティアで行っているのも、自分たちの商いが地元社会と古くからの伝統と自然環境によって支えられていることを深く理解されているからだと思います。

たねやはヨモギをわざわざ自社の農園で育てています。最初は中国からの輸入に頼っていたのですが、大量の農薬を使っていたため、無農薬での自社栽培に切り替えたのです。

二時間はウロウロしよう

ラコリーナの敷地内にあるたねやの本社は今IT企業ではトレンドのフリーアドレス制になっています。

フリーアドレス制では自分の席が決まっておらず、社員は自由に空いている場所で仕事をすることになります。

これは山本社長が本社を設計するときに、アメリカのIT企業の本社やディズニーなどを見学して参考にしたからだそうですが、社内をオープンスペース化して情報の交流をスムーズにするのが狙いです。

七人いる部長たちに、最近口うるさくいっているのは、「毎日に時間空けて、そのへんを歩け」ということ。ラコリーナの敷地内でも、八幡山でも、どこでもいい。とにかくウロウロしてみろと。

社長によれば、そこらへんをぶらぶらすることでなにがしらの発見があり、発想を豊かにしてくれるはずだというのです。

またこの二時間という数字にも意味があるといいます。

これが一時間なら、誤魔化し誤魔化しつくることができるでしょうが、二時間だと、微調整ではつくれない。自分の仕事を根本から変えるしかありません。

二時間という労働時間の四分の一の時間を強制的に”散歩”にあてさせることで、幹部の意識改革を促すというのはとても理にかなったやり方だと思いました。

とにかく日本のオフィスは今までは黙って静かに同じ姿勢で長時間座り続けているのがよいという先入観がありましたが、結果日本人は世界一座り続ける国民になってしまいました。

最近は、座り続けることが健康に悪い影響を与えてしまうという医学的な分析が良く上がってくるようになりました。

座り続けるのは喫煙と同じくらい健康に悪いという研究もあります。

労働時間以外にまとまった身体を動かすの時間をとるとなると、時間の制約上途端に難しくなってしまいますが、仕事のなかに身体を動かす時間を溶け込ますことで、無理なくちょくちょく身体を動かす身体習慣を身に着けていけます。

社長によれば今は部長クラスに適用しているこのルールも、将来的には一般の社員にも広げていきたいそうですから、とても先進的な取り組みだといえると思います。

伝統とは変えること

たねやでは主人が味のすべてを決めるといいます。

地元のお客からたねやの栗饅頭はずっと変わらない、いつたべてもおいしいといわれるそうですが、そんなことはまったくないそうです。

主人が味を決めるということは、主人が変われば味が変わるということです。

実際現在の社長になってからほぼすべての商品の味を変えたそうです。また日々のマイナーチェンジも欠かさないそうです。

ただし、変えたことがお客様にわかるようでは、話になりません。大きく変えているのに「昔から変わらん味やなあ」といっていただいてはじめてプロなのです。

時代の変遷とともに人々の味覚も変わっていくので、伝統の味に固執してしまうのは危険なことなのです。

世代世代にあった味付けをするために、そのときの主人が味を決めていくという知恵がはいっているのでしょう。

山本社長が商品の味を変えても、先代の社長は何も言わなかったそうです。

伝統とは変えることと公言する山本社長の言葉でこの書評を締めくくりたいと思います。