食習慣

『菊乃井』主人が語る京都料亭の楽しみ方、味わい方

『京都料亭の味わい方』村田吉弘著 光文社新書

京都料亭の味わい方 (光文社新書)

料亭というと、ふだんはあまり一般人にはなじみのない場所だと思います。

料亭という言葉の響きだけで、なにかおおっぴらにできない密室のような、近寄りがたい雰囲気がありますが、京都老舗料亭菊乃井のご主人である村田吉弘さんはそれは違うといいます。

「料亭」ってどんなところですかと聞かれると、僕は「基本は飯屋です」と答えます。

飯屋であるなら、それは定食屋や割烹さんと何が違うのかと思われるかもしれません。

村田さんによれば、料亭を特殊たらしめているのが、料理は商品の一部であって料亭のすべてではないという点です。

料亭は料理ももちろんですが、建物や庭の佇まい、調度品のぜいたくさ、生けている花の風情、女将や中居さんの立ち振る舞い方など、飲食に関する総合芸術が詰め込まれている場所が料亭なのです。

村田さんはこの場所を「大人のアミューズメントパーク」だといいます。

村田さん自身、料理家である限りは料理のおいしさにこだわった店を開きたいと考えて、割烹のお店「露庵」を若い時に開いています。

割烹ならお客さんの目の前で料理をつくれて、ベストのタイミングで温かい料理を出すことができるからです。

ただ、お店でお客さんを目の前で相手にしているうちにある事に気が付いたそうです。それはお客さんはお料理を味わうためにだけ、お店に来ているということではないということです。

例えば、友人との気兼ねのない会話を楽しみ来ているお客さんにとって、料理のおいしさは会話を楽しむためのお供であって、一番の目的ではないということも確かなのです。

料亭ではベストのタイミングでお料理を出すことは難しいかもしれませんが、その代わりある種の”驚き”を提供することができます。

例えば割烹では一人一人の皿に鮎を分けてだしますが、料亭なら大きな皿に盛りつけて出すことで、迫力のある料理を演出することができます。

料亭の建物や庭や器などは、驚きを演出するための舞台装置であるといえるでしょう。

こういう演出は普通の料理屋さんではまねのできない、料亭でしかできない芸当なのです。

料亭に行く前に知っておきたい使い方とマナー

料亭に行くからといって、何か特別なことをしなければならないというわけではありませんし、緊張してかしこまる必要もありません。

とはいえ料亭を使うのは催事や晴れの日で使う場であることは確かなので、ほかのお客さんが迷惑に感じるような行いは慎む必要があります。

友人の結婚式にサンダルに短パン、サングラス姿で行かないように、一般的な常識やマナーの範囲内で過ごしていただければ何も問題はないのです。

よく言われる上座や下座にしても、床の間を背にするのが上座、出入り口に近いほうが下座というような一応の決まりはありますが、そこに必ずしもこだわる必要はないとも思います。

というのも、例えば上座にお客さんを座らせても、せっかくのお庭の風景が見えないといったときもあるからです。

そういう場合は、こちらは下座になりますがお庭が良く見えますよと言って、取引先の方に断ったうえで薦めても良いわけです。

また何か困ったときは中居さんになんでも聞いてほしいといいます。

中居さんは、器でも庭でもお料理でも、料亭に関することならなんでもこたえられるように教育されているので、わからないことは尋ねてほしいといいます。

料亭では他の料理屋さんより高い料金を頂くわけですから、欧米の1流ホテルが自分たちのサービスにプライドを持っているように、ある程度の融通やサービスを期待してくれても問題はないといいます。

例えば電話予約の際でも、この食材は苦手だとか、歯が悪いからあまり固いものは食べられないとか、女性のお客さんのほうが多いとか、そういう情報を事前に遠慮なく伝えてもらえると対応がしやすくなるといいます。

献立にどうしても蟹を入れてほしいとか、鮎が食べたいとか言ってもらっても、全く問題はないのです。後は予算の都合になります。

懐石料理の基礎知識

村田さんのお店「菊乃井」では基本「京懐石」「茶懐石」のお料理が出されます。

「懐石」というのは懐(ふところ)に石と書きます。

これはお腹が減ったときに、石をお腹に充てて空腹を紛らわしたという故事からきています。

なので懐石料理というのは、とりあえずお腹が減ったので何か軽い食事をするという、スナック的な料理のことを、始めは指していました。

懐石料理の歴史と形式は千利休から始まりました。なので懐石料理とお茶とは切っても切れない関係にあります。

接待側がお客さんをもてなすときにお茶をだしますが、その時抹茶の中でも濃いお茶である濃茶をだします。

濃茶は香り高くて味わい深いものですが、すこしドロッとしていて空腹のまま飲むとお腹に強い刺激を与えてしまうことがあります。

そのため、濃茶を飲む前に何か軽い食事をすることで、胃の中に食べ物を入れておくのです。

現在の料亭のスタイルは「会席」料理という言葉があるように、本来はこちらのほうが実態に合っているのですが、懐石という漢字のほうがなんだか高級感があるので、「懐石」料理という表現が使われるようになってきました。

混同しないように、最近ではお茶の席で供される懐石料理を茶懐石と言い表すようにもなってきています。

菊乃井では基本はこの茶懐石のスタイルにのっとってお料理を出すようにしていますが、同時に現代風のアレンジもしているそうです。

料理の献立の大きな流れとして、先付け、八寸(はっすん)、向付(むこうづけ)、煮物、焼物、強肴(しいざかな)、ご飯、デザートという風になります。

先付けというのは最初にだされる小料理のことで、居酒屋などでいう突き出しにあたります。

八寸というのは、八寸=24cm四方の杉木地の盆に海の幸、山の幸を盛ることからこのような名前が付けられました。酒の肴になります。

向付は膳(折敷)の向こう正面に載せることからこの名前がついています。京懐石の場合は大抵、刺身が供されます。

煮物は、甘鯛や鱧、フグ、松茸や筍など、旬の素材をたっぷりと使った椀物になります。

強肴は本来は八寸の後にさらに酒の肴になるような料理のことをいいます。主に炊き合わせや酢の物、和え物、珍味などをだします。

料亭で出される献立の流れを抑えておくだけでも、料亭のお料理がグッと身近に感じられてくるのではないでしょうか。

東京と京都の違い

料亭が政治家が集まってなにか密談をするところ、ひどいときには賄賂をわたすようなところといったようなイメージが広まったのは、東京の料亭からだといいます。

東京の料亭は価格も高く敷居も高いので、一般の人は気軽に利用ができず、それがためにそのようなイメージが独り歩きしていったのではないかというのです。

しかし京都の料亭はそういう場所ではありません。

京都の料亭は、晴れの日など特別な日であっても、一般の方でもすこし背伸びをすれば入れるような値段設定になっています。

これには村田さん自身の考え方もあります。

村田さんの頭の中には常に世界の料理文化との比較があります。特に若いころに修業したフランス料理への意識は強いのです。

国際的にお料理への価格の上限というのは確かに存在するそうです。

フランス料理の三星店の価格帯は、ワインを含まない料理だけの価格だけですと、大体1万5千円から2万円の範囲に収まります。

なのでこの価格帯が日本料理でも適用されなければなりません。

料亭を生きた形にするには、世界的に通ずる値段帯で営業をしなければあかんというのが僕のポリシーです。

その点でいうと東京の一部のレストランの値段はその範疇を超えてしまっています。

日本料理が世界の料理と比肩し認められるためには、その価格帯についても世界の基準に合わせる必要があるといいます。

村田さんが経営する菊乃井や割烹の露庵などでも、この価格の範囲内に収まるように値段の設定がなされています。

晴れの日にすこし背伸びをすれば手が届く価格帯が、村田さんが考える料亭の適正価格なのです。

このように村田さんが考えるのは、日本料理のあり方への強烈な危機感もあると思います。

村田さんは東京のお店から店のプロデュースを頼まれたときに、東京への出張が増えたのですが、東京には自分がいきたいお店がないということに気がついたからです。

普通のもんが普通にない悲しさを、僕はひしひしと感じました。東京はえらいとこやなあと感じました。東京には日本の食い物がないねん。

普通に煮炊きした野菜が食べたい、大根おろしをつけてジュっとした焼きたての秋刀魚を温かいご飯とみそ汁で食べたい、と思った時にそういう定食屋すらないのです。

チェーン店ではない普通の和食を食べさせてくれる定食屋さんがなく、高級な料亭の値段も一般の人が利用するには高すぎるというのです。

このままでは日本料理は滅んでしまうのではないか、というのが村田さんの現状認識なのです。

菊乃井が東京に進出する意味

村田さんが東京に進出しようと思ったのは日本料理の國際化を考えるときに、東京にしっかりとした日本料理のモデルケースとなるお店が必要だと感じたからでした。

そこでどのような料亭を東京に作るかと考えたときに、テナントビルに入るという選択肢は初めからなかったといいます。

村田さんが考える料理屋の時間のスパンは50年、100年というとても長いものです。

菊乃井が東京に進出するからといってテナントビルに入ってしまえば、テナントビルの寿命は最近はどんどん短くなっているので、菊乃井は本気で東京で商売する気はないと世間に思われてしまいます。

村田さんは自分の孫やひ孫が代々継いでいけるような、ちゃんとした料亭を開きたかったのです。

なのでこの建築プロジェクトのテーマはほんまもんをつくるでした。

村田さんは東京での土地探しに苦労したそうですが、最終的に赤坂にある160坪の土地を購入することにしました。

その土地は魅力的な場所にあるにもかかわらず、なかなか買い手がつかなかったそうですが、それは幅5m、長さ20mの引き込みがある特殊な形状をしていたからでした。

つまり建物が建つ敷地が隠れて奥まったところにあるのです。

これは普通の商業店舗を建てる場合は不利な要素になりますが、料亭の場合はむしろ好都合になります。

お客さんが引き込み道を通ってお店に向かうことで、料亭という異空間にいざなう通り道として機能するからです。

その石畳を歩いている間に、東京の都心のど真ん中にいることを次第に忘れ、気分は京都へ、、、という仕掛けにしたつもりです。

京都の料亭が生き残っていく理由

バブル期には全国にあった料亭は、現在ではその多くが姿を消していっています。

村田さんによればその理由の一つは、料亭を飯屋だと捉えないで、接待の場だと勘違いしてしまったことにあるといいます。

料亭の用途としてビジネス上の接待の場というのは確かにありますが、一般の人が食事を楽しむ場所であるという基本を忘れてしまったことが、バブル以降の衰退の歴史につながったといいます。

料亭を接待の場所としてのみとらえることの問題は、その値段設定にあります。

値段の多寡は、接待する側からすれば接待される側への歓待の心をはかる指標と考えてしまいがちで、そうなると料理自体の価値から離れた値段設定がされてしまいます。

そうなると、純粋にお料理を楽しみたい一般の人の利用は減ってしまいます。

バブル崩壊後、企業接待の頻度も落ちていくなかで値段設定の見直しをしないまま、ズルズルと時代の波に遅れてしまった料亭は、次第に廃業を余儀なくされていったのです。

京都の料亭は自分たちのことを稼業ではなく家業だと考えているそうです。

その意味は、今この時だけ儲かればいいのではなく、先祖代々から受け継いできた料理屋を次の世代に引き継ぐための家業と捉えているということです。

これはいわゆる株主のために成長を義務付けられる株式会社とも違います。あくまでも将来のことを考えて家業を維持していくことが最大の目的となるのです。

このため長い時間をかけて、それこそ孫、ひ孫の代も考えるような数世代にわたるようなスパンで投資を回収できるようなお店をつくろうとします。

建物でも器でもお庭でも、ほんまもんをつくり維持していくには莫大な投資が必要になりますが、それを長い時間をかけて減価償却していくことで、そこにしかないオリジナルで圧倒的な競争力のある料理屋ができるのです。

時間の経過とともに魅力と価値が増すような料理屋の形態、それが「料亭」という場所なのではないかと思います。

この本はすでに20年近くまえの出版ですが、内容は古びていないところは、まさに京都人のものの考え方が反映されているからでだと思います。